戦後の昭和25年に学校柔道が解禁になり本校でも練習が始められた。昭和30年代に新校舎に移転し、畳50枚程を教室などに敷いて熱心な指導と練習がなされた。
 昭和40年代になって待望の柔道場が出来、また部員も増えたことにより部活動としての形態ができ、各種大会において成績が向上していった。昭和45年度の高校総合体育大会では、田口昌邦(窯業科、現在新日鉄八幡勤務)が個人戦で有田工業高校初の第三位 入賞を果たした。これは生徒の励みになり、昭和48年度の県高校総合体育大会ではベスト16に入り、さらに金鷲旗大会では二回戦進出を果 たした。昭和60年代に田雑先生が顧問になられ熱心な指導をなされたお陰で部員も増加し各大会で上位 に名を連ねるようになった。
 平成2年より平成4年まで文部省指定の武道指導推進研究指定校になった。教科体育の中で柔道指導法を研究したこと、および部活動についても指導方法を研究したため部の競技力アップにつながり、平成4年の新人戦の個人の部で100kg以上の部で岩崎邦彦(機械科、現在新日鉄八幡勤務)が第二位 に、86kgの部で相良純一(機械科)が第三位に入賞した。